私とクラシック音楽
幼い頃はピアノ
私はクラシック音楽が好きだ。
寝ているとき以外はほとんどクラシック音楽が流れている。自宅ではスピーカ、移動中や仕事中はiPhoneから美しい音色が身体中に響き渡る。
ピアノコンツェルトが好きでブラームスのピアノ協奏曲第1番、第2番はiPhoneがすり切れるのではないかと思う程聴いている。もちろんこのブログを書いているときもだ。
父親が大のクラシックファンということもあり、小さい頃から家には常にクラシック音楽が流れていた。コンサートにも良く行った。バイエルが終わる頃にはやめてしまったが、姉と一緒にピアノも習っていた。
中学、高校、大学時代はモテるための音楽
中学、高校ではB’zやミスチル、大学ではレッチリ、エアロスミスなどを聴いていてほとんどクラシックは聴かない環境になった。
何を聴きたいのかではなく、何を聴けばモテるかということばかり考えていた。
フリッパーズギターやピチカートファイブなど渋谷系と言われた音楽を聴いたり、カラオケで歌えば、それだけでモテる時代だった。映画で言えば単館系のミニシアターに通ぶってデートに行くのが格好良かったのである。
社会人になりジャズを学ぶ
社会人になると先輩に誘われてジャズを聴くことが増えた。新宿のピットインに入り浸り、マルボロの煙をマッカランで流し込みながら山下洋輔や渡辺香津美を貪るように聴いた。モテると思ってブルーノートや六本木のスイートベイジルなどにも顔を出すようになった。
もはやクラシックは引き出しの奥に放り込んで埃まみれになっていたのである。
自分の聴きたい音楽ではなくモテるための音楽を聴くことで時間をすり減らす毎日だった。まるでフィッツジェラルドが”書きたい文章”を書くのではなく、妻ゼルダのために”金になる文章”を書いていたかのように。
リベラルアーツとしてのクラシック音楽
30代になるとサントリーホールでクラシックを聴くことが増えた。
ビジネスをリードする者として必要なリベラルアーツ強化の一環、歴史書を読むことと同義でクラシックを聴いた。中学、高校、大学としばらくクラシックから離れていた耳と身体でクラシックを聴くのは正直退屈だった。
それでもラヴェルやドビュッシーなどフランスの作曲家が奏でる、少し外れた半音階の不規則な旋律が妙に心地よく、クラシックに戻ってからは彼らのピアノ曲ばかり聴いていた。
そして幼い頃から子守唄のように聴いていたクラシックが身体に沁み渡り、心を突き動かすようになるのは時間の問題だった。
Apple Musicとの出逢い
劇的に変化があったのはApple Musicが始まってからだ。
Apple Musicは名盤と呼ばれるほぼ全てのクラシックが聴ける。Apple Musicに出逢ってからはすり減らした時を取り戻すかのように、いやほとんど狂ったかのようにクラシックを身体の中に入れていった。
何より刺激的なのは同じ曲でも様々な指揮者・ピアニストのバージョンが手に入り、聴き比べができることである。
全く同じ曲でも指揮者やオーケストラ、ピアニストによって劇的に違う曲に聴こえるのだ。これは本当に興奮する。おとなしいと思っていたあの子が夜には表情と性格が一変するのと同じだ。
例えば浅田真央のフリープログラムで有名なラフマニノフのピアノ協奏曲第二番。様々なラフマニノフの第二番があり、辻井伸行がヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した時のラフマニノフももちろん聴けるが、ぜひとも2003年に演奏された小澤征爾指揮、ボストン交響楽団、クリスチャンツィメルマンのラフマニノフの第一番、第二番を聴いてみて欲しい。
小澤のアグレッシブなテンポにツィメルマンのまるでクラシックの限界を試すかのような力強く情熱的な演奏に最初の2秒で音の渦に引きずり込まれ、聴き終わった後はノックアウト寸前になる。
正直エアロスミスのコンサートよりも1万倍ロックだ。
クラシック音楽とオールデン
クラシック音楽は解釈と表現によって全く違う曲になる。それが極めて魅力的で底知れぬ奥行きを感じる。
そう、それはオールデンが育て方と愛情によって全く違う表情になるのと同じ。そしてその表情は我々の心を蝕み、狂ったようにコードバンの渦に引きずり込んでいく。そして二度とオールデンの無い世界に戻ることは出来ない。
ある時、私の師が自身の持つ膨大なクラシックレコードを前につぶやいた
「この膨大なレコード、一生かけても聴くことができようか」
そして彼はある日突然、全てのレコードを捨てた。音楽はサントリーホールでのみ聴く生活へと変えたのである。
私も膨大なオールデンを目の前にして思う
「この膨大なオールデン、一生かけても履くことができようか」
そして全てのオールデンを捨てる日が刻一刻と近づいている気がする。
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浅田真央引退の報道、彼女が氷上で舞っていた時には常にラフマニノフのピアノ協奏曲第二番が流れていた。
その頃の自分を思うと随分と時が流れたように感じる。
2017.4.11 Alden Style